ホーム > プロフィール >

根本匠ってどんな人?

根本匠ってどんな人?

「政策本位の政治」で日本を変える政治家・根本匠

○政治家は政策で勝負。あらゆる政策テーマに応えなければならない。私は初当選以来、政策本位の政治をモットーに、あらゆる政策テーマに取り組み、政界のオールラウンドプレーヤーを目指してきました。

○新人議員の頃、政策集団「アクショングループ」を結成。さらに安倍晋三、石原伸晃、塩崎恭久の各同志と「NAIS」を立ち上げ、日頃有権者と接する中で発掘した最前線の政策テーマの実現に奔走しました。

○1期目(93年7月~)は、些細なテーマでも大切に育て政策に仕上げていく政策請負人として研鑽を積みました。国会では皆勤賞。

○2期目(96年10月~)は、98年7月厚生政務次官に就任、年金制度や医療制度の見直し、介護保険の導入などに取り組みました。「議員立法の根本匠」の呼び名も生まれました。少子化問題委員長、国対副委員長としても活躍させていただきました。

政策新人類と呼ばれたのもこの頃のことで、政策づくりにも磨きがかかりました。

*実績:不良債権処理、金融再生(「土地債権流動化トータルプラン」「金融再生トータルプラン」)など、国家の命運がかかった重要政策の取りまとめ。中心市街地活性化法や田園居住法など議員立法。聴覚言語士や理・美容師、保育士、管理栄養士等々の国家資格化など。

*国内だけでなく海外の新聞やテレビ、英紙「フィナンシャルタイムス」、「CNN」等でも「政策新人類」根本匠の活躍が取り上げられ、「報道2001」や「サンデープロジェクト」にも頻繁に出演。

○3期目(00年6月~)。02年10月に小泉内閣の内閣府副大臣・総理大臣補佐官に就任。政策実行型の政治家としてダイナミックに政策を展開する機会を得、4人の国務大臣を補佐しました。

私の担当分野は、経済財政、行政改革、道路公団民営化、構造改革特区・産業再生機構・食の安全など7分野※。一人でこれだけの担当を任された副大臣・総理補佐官は後にも先にも私だけですが、様々な政策を組み立て実行に移すことができ、官邸機能の中枢となり、閣僚以上の働きができたと思います。

※・経済財政・国民生活・行革・道路公団改革・構造改革特区・食品安全・産業再生

○4期目(03年1月~)。03年11月、大臣を目指す政治家の登龍門である衆議院経済産業常任委員長に就任。与野党の論戦の舵取り役を務め、中小企業支援を柱とする中小企業金融関連2法案の成立などに尽力しました。

04年4月1日、東京農業大学の客員教授に就任しました。10月には、自民党7役の一角を占め、本来なら閣僚経験者が就く党広報本部長に就任。同時に党改革実行本部の副本部長にも就任、盟友・安倍本部長と二人三脚で党改革を推進しました。

05年3月、党国際競争力調査会の事務局長に就任。7月、技術革新を柱に強い産業・強い日本の復活を目指す「我が国国際競争力強化に向けた提言」をとりまとめました。
自民党結党50周年の節目の年、小泉構造改革路線を前面に押し出した総選挙、広報本部長として戦略的広報の強化に取り組んだ成果で「自民296議席」の圧勝。自らの戦いもさることながら、選挙の候補者公募制度導入はじめ党改革実行本部長代理としても多忙をきわめ、私自身にとって厳しい選挙戦となりましたが、皆さんの熱い支持に支えられ5選を果たすことができました。

○5期目(05年9月~)。党の広報本部長の激務からようやく解放かと思ったら、同じく党の要職、人事委員長に就任。さらに政策課題としては、財政再建、政府系金融機関の統廃合、医療制度改革、三位一体改革、特別会計改革、公務員人件費削減等など、難しい問題が目白押し、積極的に取り組みました。

06年9月、安倍新内閣の総理大臣補佐官に就任、官邸に常駐。「アジア・ゲートウェイ構想」(アジア各国との連携強化策)の策定、長期的な経済成長の戦略づくり、社会保険庁の解体、日本の経済政策の対外発信などを行い、総理を徹底的に補佐しました。ビルのほぼワンフロアーを「根本匠総理大臣補佐官室」とし、私を支える特命担当の専任スタッフ12名を揃えたことも注目されました。オープンスカイの実現など国家戦略に基づいた政策を遂行。

07年5月「アジア・ゲートウェイ構想」をまとめ、6月、閣議決定した「経済財政運営と構造改革に関する基本方針(骨太の方針)」に盛り込み、羽田の国際化、 港湾手続き改革など次々に実現しました。

07年8月の参議院選挙で自民党は大敗。衆院で与党、参院で野党がそれぞれ多数を占める、いわゆる「ねじれ国会」がスタート。活動の場を官邸から国会に移し、党の国会対策委員会の副委員長(総括担当)と衆議院の常任委員会の一つである議院運営委員会の理事(法案担当)に就任しました。国会で審議される80本の法案をさばき、円滑な国会運営に尽力、野党から一目も二目もおかれました。

08年、「日本の活力創造」特命委員会座長となり、経済成長を促す「日本の活力創造総合戦略」を策定。「骨太の方針2008」に全面的に取り込まれました。

08年9月、経済財政・総合調整を担当する政務調査会副会長に就任。雇用はじめ企業政策、中小企業と農業戦略はもとより医療・子育て支援など、直面する難題を一手に引き受け、我が国の活性化のために心血を注ぎました。

09年、世界同時不況を克服するため四次にわたる経済対策に政策責任者として全力を注ぎました。また、法律で人の死を決めていいのか、臓器移植法でD案(根本案)を果敢に提案。 各界より注目を浴び話題を呼びました。しかしこの夏、8月、6期目を目指した総選挙で苦杯を喫っすることになりました。

10年5月、東北から日本を建て直そうと、捲土重来を期す東北の中堅若手の政治家が結集し、新世代自民党「東北志士の会」を結成しました。

11年3月11日、東日本大震災。郡山市長から要請を受けて防災対策アドバイザーに就任。復旧から復興、新たな東北創造に取り組みました。

○6期目(12年12月~)。12月16日、多くのご支持を戴き、捲土重来を果たし、6期目の当選。12月26日、第二次安倍内閣の復興大臣を拝命しました。

 14年9月3日、在任期間617日、復興を加速化させ新しい東北の姿を描き上げました。労苦をともにしてくれた副大臣、政務官、被災地において復興に尽力されている住民の皆さんや自治体の首長、職員の皆さん、自治会・商店街のリーダー、地元の商工会、大学関係者の皆さん、広く支援をいただいている経済団体、公益法人、NPO等々、復興を進めたいとの思いを共有した多くの方々から支援と協力をいただきました。
 また、私の政治信条である「現場主義の徹底」「復興庁の司令塔機能の強化」「復興のステージ(時間軸)に応じた取り組み」をしっかり理解した上で、労をいとわず復興の加速化に取り組んでくれた復興庁の職員や、タスクフォースに集い、一緒に汗をかいてくれた関係省庁の官僚諸君にもお礼を申し上げたい。

○7期目(14年12月~)。 衆議院では予算委員会ならびに憲法審査会、東日本大震災復興特別委員会に所属し、自民党では金融調査会長、税制調査会副会長、東日本大震災復興加速化本部長代理を勤めます。