衆議院議員 福島2区(郡山市、二本松市、本宮市、大玉村

トピックス 2003年

2003.12.23

真摯な政策論争を!

根本匠です。

今年もあとわずか。私にとってこの一年は、忙しなく走り続けた一年でした。

内閣府副大臣兼総理大臣補佐官としては空前の7分野を担当、9月の内閣改造で激務から解放されたと思ったら、今度は解散・総選挙。

選挙が終わって党務に復帰した途端、年末の来年度の税制改正・予算編成や年金改革などに駆り出され、気がつくと世間はもう仕事納め。とにもかくにも慌ただしい一年でした。

私は政治家ですから、今年最大の出来事は、やはり総選挙です。第43回衆院選は与党・自民党に逆風が吹きつける厳しい選挙でした。時代の状況がことごとく政権与党にマイナスに作用したからです。

一つは、「大競争デフレ」。中国などから安価な輸入品が大量に入り込み、消耗戦になりかねない低価格競争や、製造業が海外に逃げ出す空洞化現象をもたらしています。

この「大競争デフレ」は、価格破壊という形で商店街にも打撃を与えています。大型店の進出攻勢も加わって商店街の衰退や自営・小規模事業者の減少を招き、選挙戦では「地方・中小企業切り捨て」という誤った自民党批判を引き起こしました。

財政赤字の影響も、歪んだ形で選挙戦に表れました。たとえば、公共事業。この5年間で半減したが、主因は地方単独事業の減少にあります。国費の削減ペースは、実はなだらかなのですが、歳出カットの影響を受けている業種からは「自民党のせいだ」と批判の声があがり、反自民ムードを助長しました。

年金や医療費の問題も然り、です。純粋な政策論として考えなければいけないのに、政争の具と化し、野党勢の無責任な「年金は下がる、医療費は上がる」批判には辟易しました。 「マニフェスト」の誤解も、自民党に不利に作用しました。どんなに立派な政権公約を掲げても、その実態が裏付けのない数字や美辞麗句を並べ立てるだけなら、それはマニフェストでありません。

しかし、耳に心地よい無責任マニフェストは有権者を幻惑し、本来行われるべき政策論争の機会を奪ってしまったのです。

繰り返しますが、耳に心地よい公約の羅列で国民に政権選択を問うのは無責任政治の典型です。政権の選択を問うなら、今という時代の困難さを国民に認識してもらう努力が不可欠ですが、今の野党にはその覚悟がない。

ともあれ、日本は今、少子高齢化、財政赤字、そして大競争デフレという深刻な課題をどう克服するかが問われています。

先の総選挙では、無責任なマニフェスト攻勢に振り回されましたが、責任ある政権政党の政策担当者として真摯な政策論争を展開したいものです。

2003.11.26

経済産業政策の舵取り役に就任

根本匠です。今回もまた、多くの支持者の方々のご支援に支えられ、4期連続当選を果たすことができました。

手弁当で選挙活動を手伝って下さった方々、行く先々で千切れんばかりに手を振り声援を送って下さった方々、お仲間に根本支持を呼びかけて下さった方々…。4度(たび)国会の門をくぐることができましたのも、こうした方々のご助力があったからです。改めて御礼申し上げます。

19日に初登院し、議員バッジを議会職員に付けてもらいました。これで4度目のセレモニーですが、何度やっても初心に返ったように初々しい気持ちになるから不思議なものです。

「政策新人類」、「若手改革派」などと呼ばれていた私も、もう4期生です。「若手」から「中堅」の領域に入り、「政策実行型」の政治家としての基盤をしっかりと固めていかなければなりません。

メインの仕事は、政府(内閣府副大臣兼総理大臣補佐官)から立法府へ。衆議院の経済産業委員長に就任し、経済産業政策の舵取りを任されることになりました。

この分野に関しては、「経済財政」「産業再生」「構造改革特区」担当の副大臣としての実績に加え、中小企業対策にも積極的に取り組んできましたので、私の専門分野と言ってもいいでしょう。

一口に経済産業政策といっても間口が広いので、何から手をつけたらいいのか、という贅沢な悩みがありますが、最優先すべき政策課題は、日本経済の活性化です。

中でも、立ち直りが遅れ気味の中小企業の活力回復と金融対策が重要で、来年1月からの通常国会には、中小企業支援などを柱とする中小企業金融関連2法案が上程される予定です。私は経済産業委員会の委員長として、円滑な委員会運営に努めるとともに、十分に審議を尽くし、良い法律に仕立て上げてきたいものです。

また、自民党内では政務調査会で、子育て支援、年金、教育、農政等など、実質的な政策のとりまとめ役である副会長として「政策本位の政治」に一段と磨きをかけようと張り切っております。

4期目の根本匠の活躍にご期待下さい。

2003.10.09

「理念先行型」から「政策実行型」へ

日本は今、明治維新、第2次世界大戦の終結に次ぐ「第三の開国」の時を迎えています。戦後復興や高度経済成長を支えてきた様々なシステムが制度疲労を起こし、その立て直し−構造改革−が急務です。

これらの問題の解決に向けて処方箋を示し、日本が進むべき方向を具体的な政策として提示することは、政治家の責務です。

政策目標を実現するためにはどのような政策を講じるべきか。これこそが政治の要諦であり、政治家は自分の力で政策を企画立案し、実行する能力を身につけなければなりません。

しかし現実は、「言うは易く行うは難し」。政策目標は提示できても、そこに至る道筋をきちんと提示できる政治家はなかなかおりません。

衆議院議員になり立ての頃の私も、「理念先行型」の、肩に力の入った新人政治家でしたが、政策目標を実現するための政策をつくり上げる能力が次第に備わってきました。

そして、特にこの一年間は、内閣府副大臣兼総理大臣補佐官として、「経済財政」、「国民生活」、「行政改革」、「道路関係公団改革」、「構造改革特区」、「産業再生」、「食品安全」と実に7分野の改革に携わり、思う存分活動できました。

政策本位の政治を目指して10年。政治家としての活動範囲は、外交を含めほぼ全分野に広がり、何でもこなせるオールラウンド・プレーヤーになりたいという目標も概ね達成し得た、と自負しております。

* * *

1993年7月。第40回総選挙で敗北を喫した我が自民党は、野党連合に政権の座を明け渡し下野しました。

この選挙で初当選を果たした私の議員人生も、野党からのスタートとなりました。

自民党が初めて野党に転じた結果、途端に「政治改革だ!」と都合のいい理屈を付けて約一割の議員が脱党。中には7つの政党を転々とし「レインボー(七変化)政治家」と呼ばれた元議員もいましたが、「政治は信義、信頼」を宗とする私には断じて容認し得ないものでした。

「反自民・反共産」以外に結集軸も理念もない “8頭立て” の細川連立に政権が渡ったことが「失われた10年」の原因であることは紛れもない事実。この愚を二度と再びおかしてはなりません。

ともあれ、1年足らずのこの野党体験は、新人にとっては大いにプラスとなりました。

野党は、国会の委員会審議では与党よりも多めに質問時間をもらえるが、中堅やベテラン議員の前にまず新人に声がかかる。そこで私は、すすんで質問に立ち、党内でも12位を競う質問回数を誇りました。野党の新人議員が公(おおやけ)の場で存在感を発揮できるのは、国会くらいしかないからです。

また、若手の同僚議員たちと政策集団「アクショングループ」を立ち上げ、日頃有権者の方々と接する中で発掘した最前線のテーマについて、関係省庁の官僚らと徹底的に議論し政策の実現を目指しました。「政策請負人」として、小さなテーマでも大切に育て、政策づくりの能力を磨き上げていったのです。

自分でも「政治家」らしくなってきたなと思えるようになったのは、2期目に入ってからです。

志を同じくする若手政治家らと早くから不良債権問題に取り組み、時の政権の重要政策に直結する「土地・債権流動化トータルプラン」(98年4月)や「金融再生トータルプラン」(同7月)を、我々若手が企画・立案、筆も執り、政府・与党を動かしました。

政策の企画・立案段階から党がリードし、政府が後から追いかけるということは、過去に例がありません。実に画期的なことで、英紙フィナンシャルタイムズが私たち「政策新人類」の活躍ぶりを、1面トップ(「政党政治家、日本の金融改革を先導」)で紹介したほどです。

こんなこともありました。「土地・債権流動化トータルプラン」が出来上がった直後に訪米した自民党の首脳陣が、米政府・議会関係者に不良債権処理策の柱となるこのプランの概要を説明したところ、米側から「これなんだよ、日本にやって欲しかったことは」と高い評価を受けたのです。

安倍晋三さん(官房副長官)、石原伸晃さん(行政改革担当相)、塩崎恭久さん(自民党財務金融部会長)の3氏と結成した「NAIS」の活動も2期目に入ったあたりから本格化し、厚生政務次官だった私が座長役を務め、年金や介護保険などのホットな政策課題について官僚を相手に徹底的に議論したものです。

議論の成果としてまとめた『これが年金改革だ…年金なんかこわくない』、『にげるな!ひるむな!介護保険』というタイトルの2つの冊子は、年金問題と介護保険問題を理解する上での“虎の巻”としてマスコミでも評判になりました。

その直後、私たちNAISはテレビ朝日系報道番組「サンデープロジェクト」の年金特番(「年金破綻を阻止せよ、自民新人類の大胆計画」)に出演、私たちの解説が「分かりやすい」と、これまた好評を博しました。

このほか、議員立法なども積極的に手掛け、定期借家権(良質な賃貸住宅の供給の促進に関する特別措置法)や田園居住法(優良田園住宅の建設促進に関する法律)、中心市街地活性化法、管理栄養士の大臣免許化などを次々に実現していきました。

そして3期目。政治家・根本匠は、「理念先行型」から「政策実行型」へ、ダイナミックに政策を展開する段階に入りました。

前半は、加藤紘一元自民党幹事長が森喜朗首相(当時)に退陣を迫ろうとした「加藤の乱」に加担したため、謹慎を余儀なくされ、政策提言活動に精を出しました。

その頃、雑誌に発表した論文が「まだ見ぬ総理へ送る『日本経済サバイバルプラン』」(週刊文春2001年4月12日号)、「交付税制度を本来の役割に戻せ」(週刊東洋経済01年8月4日号)、「脱デフレ日本経済サバイバルプラン」(週刊東洋経済02年3月16日号)などです。

一方で、石原、塩崎、渡辺喜美の3氏と新政策集団「四騎の会」を立ち上げたり、若手の同志たちとともに「派閥・長老支配打破」や「世代交代・若手登用」などの党改革を訴え、こうした改革のうねりが小泉政権誕生の原動力ともなりました。

そして一年前に、経済再生のカギを握るポストである内閣府副大臣兼総理大臣補佐官に就任、名実ともに「政策実行型の政治家」になれたように思います。

国会議員になって10年でこれほど多様かつ重要な意思決定に関わるポジションまで辿り着くことは至難の業です。実に幸運なことであり、文字通り政治家冥利に尽きます。

これまで政策提言してきたことを自分の手で実現できる立場になるわけですから、政治家としてこれ以上の幸運はありません。

政策は知恵、政局は心。政治家には本質を見極める目と清廉な志が不可欠であり、責任感と使命感なくして議員活動はできません。3期目の根本匠は、政策にも政局にも全力で取り組んできました。

* * *

「内閣府副大臣兼総理大臣補佐官」は、自民党総裁選直後の内閣改造に伴い退任しましたが、在任中に脱稿した自著『日本再生−政治家根本匠の生き方II−』がようやく上梓の運びとなりました。

初当選から厚生政務次官までの6年間の政治家としての活動状況をまとめた『政治家根本匠の生き方−政策本位の政治で日本は変わる−』を刊行したのは、ちょうど5年前。1999年9月のことです。

今回は、厚生政務次官を退任してから今日に至る4年間の「政治家根本匠の生き方」を振り返ってみました。

第1章(「『特命』走る!」)では、内閣府副大臣兼総理大臣補佐官に就任直後の、「超」が付くほどの激務ぶりを、様々なエピソードを交えながら紹介します。

第2章(「進む『改革』」)では、内閣府副大臣兼総理大臣補佐官として担当した「経済財政」、「行政改革」、「道路関係公団改革」、「構造改革特区」、「産業再生」、「食品安全」、「国民生活」の7分野の改革を中心に小泉改革の神髄に迫ります。

第3章(「日本再生へ政策総動員」)では、小泉改革の全体像を紹介するとともに、その本質と進捗状況を解説。「改革が遅れている」との批判に、具体例を挙げながら反論を試みます。

そして第4章(「政策は知恵、政局は心」)では、「加藤の乱」前後の私の政治活動と政策への取り組みぶりを紹介。「政治家根本匠の生き方」の一端に触れていただければ幸いです。

2003.06.24

「若者自立・挑戦プラン」で若者の就業を後押し

根本匠です。今回は、小泉内閣が緊急課題として取り組んでいる「若者自立・挑戦プラン」についてお話します。

4月の完全失業率(季節調整値)は5.4%ですが、15歳から24歳までの若者の完全失業率がどの程度かご存知でしょうか?

12.0%と高水準で推移しているのです。

高い失業率、増加する無業者・フリーター、高い離職率…。今、若者たちは、自らの可能性を高め、それを活かす場がないのです。こうした状況が長く続けば、中長期的な競争力や生産性の低下など経済基盤の崩壊はもとより、不安定な就労者の増加や所得格差の拡大、社会保障システムの脆弱化、社会不安の増大、少子化の進行など、深刻な社会問題を惹き起こしかねません。

我が国にとって、人材こそが国家の基礎であり、産・学・官が一体となった国民運動的な取り組みとして、若者を中心とする「人材」に照準を合わせた根本対策を早急に講じる必要があります。

そこで政府は、今月10日、4閣僚で構成される「若者自立・挑戦戦略会議」を開き、失業が深刻化する若年層の就業を後押しするための総合対策「若者自立・挑戦プラン」を策定しました。私も同会議に出席し、教育・雇用・産業政策の連携強化の必要性を訴えるとともに、サービス分野を中心とした雇用拡大の取組みについて説明しました。同会議の結果を総理に報告するとともに、今後は産・学・官が一体となって人材育成や就業機会の創設などに取り組むことになりました。

定職を持たないフリーター、若年失業者・無業者が増加している現状を踏まえ、当面3年間で、人材対策の強化を通じ、若者の働く意欲を引き出すとともに、すべてのやる気ある若者の職業的自立を促し、若年失業者などの増加に歯止めをかけることを目指します。

なお、このプランは、経済財政諮問会議が今月中にまとめる「経済財政運営と構造改革に関する基本方針(骨太の方針2003)」に盛り込まれます。

2003.06.03

「食の安全構造改革」が実行段階に

食品安全行政担当副大臣の根本匠です。

食品の安全確保に向けた基本方針を定める食品安全基本法が5月16日、成立しました。

この法律は、日記で以前も書いたように、一昨年から昨年にかけて「食の安全」を脅かす問題が次々と明るみに出たことがきっかけとなってます。

まず、BSE(牛海綿状脳症=狂牛病)対策の偽装事件で、雪印食品や日本ハムという有名企業までもが名を連ね、中国産の野菜からは残留農薬が相次いで検出されました。さらには国内の農産物にも無登録農薬が使われていたことが発覚するなど、食品の信頼性や安全性を損なう事件が続発。加えて、新しい農薬・添加物の出現や新たな危害(O157など)の判明など食品安全行政を取り巻く環境の変化も踏まえ、食品安全行政を抜本的に見直そうということになったわけです。

食品安全基本法は、小泉内閣らしい幾つかの画期的な内容を持っています。

1つは、食品安全という国民の生命・安全に直結する課題を国民の手に引き寄せてきた点。生産者とのコミュニケーションはもとより、広く国民とのコミュニケーションの中から食品安全対策をつくりあげる仕組みは、従来にない画期的なことです。食の安全を生産者から国民の手に取り戻す大きな一歩といえます。

2つめは、食品の健康に与える影響についての客観的「評価」(分析)機能と、それに基づいて規制する「管理」(コントロール)機能を完全分離したこと。ご存知のように、食品の安全性を確保するための中心的な組織として「食品安全委員会」を内閣府に設置、農林水産省や厚生労働省といった規制省庁から完全に切り離すことにしています。食品の健康に与える影響を客観的、中立的、科学的に分析し、食の安全の確保を徹底する仕組みを構築することは、国民本位の観点から重要なポイントです。

そして3つめが、縦割りの弊害の是正です。委員会を内閣府に置くことにより、縦割り弊害排除を徹底。中央省庁改革の成果である内閣機能強化の思想にも合致します。

政府としては、7月中を目処に食品安全委員会を設置することにしており、近く委員会を構成する7人の委員の選考作業に着手します。

ともあれ、今回の「食の安全構造改革」構造改革により、世界最高水準の「食の安全」が確保できるものと自負しております。

2003.04.22

アイデア満載!構造改革特区がスタート

経済を活性化するためには、規制改革で民間活力を最大限に引き出し、民業を拡大することが重要です。

しかし、規制改革を全国一律に進めていこうとすると、様々な事情から時間がかかる。そこで、特定の地域に限って規制を緩和し、規制改革と地域振興の起爆剤にしようというのが、いま話題の「構造改革特区」です。

地方自治体などの自発的なアイデアにより、地域の特性に応じた規制の特例を導入する区域を設け、効果があれば全国レベルに広げ、国全体の経済活性化につなげることもできます。 「知恵」と「工夫」で勝負! このおカネのかからない経済活性化策は、小泉政権の最重要課題の1つに位置づけられており、私も担当副大臣として関連法案の策定や規制緩和の範囲、特区の認定基準など特区構想の具体化に向けた作業に携わってきました。

一方、自治体の関心も高く、特区を申請した自治体の数は110(129件)に上り、構造改革特区の第1弾としてとりあえず57件を認定。この中には、福島県が申請していた「知的創造・開発特区」も含まれており、21日に総理官邸で小泉総理から認定書の交付を受けました。

アイデアが出されてから半年で関連法が成立、1年足らずで実施にこぎつけたわけで、小泉政権の構造改革が順調に進展している証(あかし)といえるでしょう。

話が前後しますが、福島県の「知的創造・開発特区」は、医療福祉機器産業が集積、会津大学や日本大学工学部などの研究拠点が高い研究ポテンシャルを有する郡山市と会津若松市の地域特性を生かし、医療福祉機器での産学官連携による新産業の創造を目指す「福島県知的クラスター形成事業」に対応して設定。外国人研究者の受け入れに関する規制を緩和する特例措置を設けるものです。

具体的には、医療福祉機器関連の研究開発に実績のある北欧や、医療福祉機器の開発に密接に関連するIT分野などに強い有能な外国人労働者を、企業や大学が積極的に受け入れられるようにするため、外国人の在留期間の延長(1年または3年→5年)や在留資格要件の緩和などを見込んでいます。

2003.02.21

「食の安全」も構造改革

根本匠です。朝晩の冷え込みは依然続いておりますが、雲の切れ間から時折覗くやわらかな日差しは、春がすぐそこまで来てることを告げているようです。

今回は、谷垣禎一食品安全委員会等担当大臣のもとで、担当副大臣として取り組んでいる食品安全行政についてご説明しましょう。

ご存知のように、一昨年から昨年にかけて「食の安全」を脅かす問題が次々と明るみに出ました。

まずBSE(牛海綿状脳症=いわゆる狂牛病)対策の偽装事件では、雪印食品や日本ハムという有名企業までもが名を連ね、中国産の野菜からは残留農薬が相次いで検出されました。さらには国内の農産物にも無登録農薬が使われていたことが発覚するなど、食品の信頼性や安全性を損なう事件が続発。加えて、新しい農薬・添加物の出現や新たな危害(O157など)の判明など食品安全行政を取り巻く環境の変化も踏まえ、食品安全行政を抜本的に見直そうということになったわけです。

こうしてまとまったのが、食品分野では初めて「国民の健康保護」を掲げ、「食の安全」の確保を総合的に推進する「食品安全基本法案」です。

法案は、食品衛生法や健康増進法の改正など関連7法案とともに今月7日に閣議決定、国会に上程しました。今通常国会の会期中に成立の運びで、法律の施行を待って食品の安全性を科学的に評価する独立機関「食品安全委員会」(仮称)が発足する予定です。

この食品安全委員会の大きな特徴は、食の安全をおびやかす様々な出来事の中で、農林水産省や厚生労働省の対応の遅さに国民の批判が集中したことから、これらのお役所から切り離して設置されることです。タテ割行政を廃し、国民の立場から食の安全を守っていこうという小泉内閣の意欲が、こういうところにもあらわれている、と私は思っています。ここでは食品健康影響評価を実施するだけでなく、食品安全行政全般について関係各省に意見を述べることができます。委員の数は7人で、有識者の中から総理大臣が国会の同意を得て任命します。

食品安全委員会の設置により、今後の食品安全行政は、「食の安全」について科学的評価(リスク評価)を行う食品安全委員会と、評価結果に基づいて基準・規格の設定、規制などの行政措置(リスク管理)を行う関係省庁が役割を分担。幅広く関係者間で情報や意見の交換(リスクコミュニケーション)を行いながら進められることになります。

私は、これを「食の安全構造改革」と呼んでいますが、今回の構造改革により世界最高水準の「食の安全」が確保できるものと自負しております。

2003.01.01

目指せ!「日本再生」

根本匠です、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。

今年の干支は「未(ひつじ)」です。相場の格言集によれば、「未(ひつじ)辛抱、申酉(さるとり)騒ぐ、戌(いぬ)笑い、亥(い)固まる、子(ね)は繁盛、丑(うし)躓き、寅(とら)千里を走り…」 未年の相場は、「辛抱」の年らしいのです。

実際の相場が格言通りの展開になるわけではありませんが、経済という大きな括りで今年を占えば、いましばらく「辛抱」が必要でしょう。 問題は「どこまで辛抱するか」ですが、15カ月予算(今年度補正+来年度当初)や税制改革など、政府として打つべき手は打っており、あとは通常国会での成立を待つのみです。 これらの対策の効果が次第に現れ、日銀も「適切な金融政策」を遂行すれば、今年は回復への手応えを実感できる年になるでしょうし、是非ともそうしたいものです。

ところで、私が衆議院選挙に初当選したのは10年前の平成5年ですが、建設省を退官し政治の世界に身を投じたのは一回り前の未年、平成3年のことです。 あれから12年。時の流れはまさに「光陰矢の如し」ですが、干支が一回りする間の永田町での経験は、私を政治家として一回りも二回りも大きくしてくれたような気がします。

特に昨年秋以降は、内閣府副大臣兼総理大臣補佐官として、経済財政政策、産業再生、行政改革、道路関係公団改革、食品安全行政、構造改革特区、国民生活と、7つの政策分野を担当。それぞれの所管大臣とともに、小泉政権が目指す日本経済の再生に必要な政策の大半を担っております。

今年の私の課題は「日本再生」です。政府の一員として、かつ国民の負託を受けた政治家として、日本再生に本腰を入れ、宿願の“脱デフレ”に全力で取り組みます。 中でも、「産業再生機構」の設立は急務です。不良債権処理の受け皿づくりというだけではなく、金融・産業の一体再生という日本経済再生への大きな流れの中での仕組みづくりを目指します。

間もなく召集される通常国会では、この「産業再生機構」関連法案のほかに、もう1つ、大きな仕事が私には待っています。食品安全基本法案がそうです。 この法律は、食品のリスク評価を担う目的で7月に新設される「食品安全委員会」の役割や組織などを規定するための法律で、ご存知のようにBSE(牛海綿状脳症=狂牛病)問題がきっかけとなってます。国民の関心が非常に高いテーマだけに真剣に取り組まねば、と考えております。

ともあれ、経済財政政策、産業再生機構、行政改革、道路関係公団改革、食品安全行政、構造改革特区、国民生活と、7つの「顔」を持つ根本匠の活躍にご期待下さい。