「管理栄養士」を国家資格に
平成11(1999)年6月、議員立法で検討が進められていた栄養士法改正案について、根本匠は事務方から説明を受けた。栄養士法が制定された昭和37(1962)年当時は「栄養士」と「管理栄養士」の業務区分が不明確だったため、栄養士は知事免許、管理栄養士は大臣の登録制となっていた。一般的な資格制度は、「一級建築士は大臣免許、二級建築士は知事免許」といった具合に、免許制で統一されているのが普通だ。ところが、管理栄養士は免許制ではなく登録制であるため、例えば県が職員を任用する場合、栄養士は「資格」として扱われるのに対し、管理栄養士は「特技」扱いにとどまる。根本は、以前から県の鈴木里子会長はじめ各地の栄養士会から「大臣免許制にしてほしい」と要望を受けていた。
「今回の法改正では、管理栄養士の業務が拡大しこれを法律に位置付けるので、栄養士と管理栄養士の業務区分が明確になる。この機会をとらえて、管理栄養士も免許制に移行できるはずだ」。根本は、「根本メモ」として3点の具体的な理由を挙げ、事務方に検討を指示する。さらに、管理栄養士を大臣登録制のまま議員立法改正を進めていた栄養士議連と日本栄養士会との懇談会の席上、具体的な理由を述べて「管理栄養士の免許資格はできる」と断言。根本が発言を終えると、後方で傍聴していた47都道府県の栄養士会の会長たちが一斉に立ち上がり、スタンディングオベーションが起きたのだ。
栄養士法改正案の議員立法は一部修正の上、翌年3月に可決・成立し、管理栄養士は晴れて大臣免許制の国家資格になったのである。政治家が政策を作る力があれば、たった一人でも政治は動かせる。「政策本位の政治」を貫いてきた根本匠の政治の原点である。日本栄養士会会長の中村丁次は、自著『中村丁次が紐解くジャパン・ニュートリション』(第一出版)の中で、根本の取り組みを紹介している。