「母乳バンク」小さな命を救う、
世界の常識を日本に!
早産などで1500グラム未満で生まれた赤ちゃんは「極低出生体重児」と呼ばれ、腸管が壊死してしまう壊死性腸炎という病気にかかりやすいと言われている。この病気にかかった赤ちゃんは腸が破れ、非常に小さな赤ちゃんが多いため、最悪の場合、亡くなってしまうが、各国の研究で、生まれた直後に粉ミルクではなく母乳を与えることでかかりにくくなることが分かってきた。ただし、出産直後の母親は母乳が出にくいケースが多く、ましてや、何かしらの理由で早産となってしまった母親はなおさらだ。
このような赤ちゃんを救うため、昭和大学病院教授の水野克己は、留学先のオーストラリアで見た「母乳バンク」を平成25(2013)年に開設。4年後には、活動を拡大するため「日本母乳バンク協会」を設立したが、活動拠点は4畳ほどの部屋で、メンバーは水野と助産師でもある奥様の2人だけ。ヒト・モノ・カネのすべてが足りないため、安定した供給体制を構築することができなかった。
水野は厚生労働大臣の根本匠に、安定的な供給体制を築くためには「母乳バンク」が必要不可欠だと説いた。実は、この「母乳バンク」の取り組みは、過去に厚生労働省の研究の対象となり、支援を受けたこともあったのですが、「水野教授による自主的な取り組みを見守る」として、あくまでも限定的な支援にとどまっていた。水野の話を聞いた根本は「母乳バンク」の必要性を認識し、全国的に対応できるように、すぐに省内で議論を始めるよう指示。水野が「これで動く」と確信した直後の令和元(2019)年9月、驚きのニュースが飛び込む。内閣改造が発表され、根本が厚生労働大臣を退任することになり、水野は「国の支援が受けられなくなる」と覚悟したが、3カ月後、水野のもとに「もう一度、話を聞きたい」と根本から連絡が入る。出向くと、そこには根本だけでなく、関心のある国会議員と厚生労働省の担当者らが集まっていた。根本は大臣退任後も、「母乳バンク議連」を立ち上げて、自ら会長に就任。厚生労働省と調整を続けていたのだ。
その2カ月後。衆議院予算委員会で、議連のメンバーである堀内詔子議員の問いかけに対し、令和2(2020)年度から3年間、研究推進のための財政的な支援を行うことを厚生労働省が明言。令和2(2020)年9月1日には日本橋に母乳バンクもオープン。水野が根本を、根本が国を動かし、小さな命を救う道が大きく開かれたのである。
【NHK政治マガジン】特集記事 母乳で命を救いたい 政治は動くか