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根本 匠ねもと たくみ

自民党東日本大震災復興加速化本部長
国家基本政策委員長 衆議院議員
福島県第二選挙区支部郡山市/須賀川市・鏡石町・天栄村/田村市・三春町
・小野町/石川町・玉川村・平田村・浅川町・古殿町
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福島県広域

福島県沖地震から
生業・暮らしを守る

未曾有の被害をもたらした東日本大震災の発生から10年の節目を迎えようとしていた令和3(2021)年2月13日夜、福島県沖を震源とするマグニチュード7.3の地震が発生。最大震度6強を観測した福島県では甚大な被害を被り、東日本大震災に加え、令和元(2019)年の台風19号、令和2(2020)年から続くコロナ禍の〝三重苦〟で疲弊し切っていた福島県の産業に、生活を取り戻し事業を再開する気力をも失わせかねない厳しいものとなった。
さらに追い打ちをかけるように、福島県沖地震について「激甚災害」の基準を満たす調査結果が上がらなかった、と防災担当大臣が発言。中小・小規模事業者にとって事業再開の頼みの綱であった「中小企業等グループ補助金」の対象から外れるとともに、災害廃棄物の処理についても全壊家屋しか公費補助が受けられない可能性も出てきた。

そのとき、匠が動いた!

東日本大震災や台風19号で多くの中小・小規模事業者を支援してきた「中小企業等グループ補助金」は、「大規模な災害」、例えば「激甚災害」に指定されることが条件となっていた。「このままでは、東日本大震災に加えて台風19号、コロナ禍の三重苦ですでに疲弊し切っている福島県の事業者の再生はない」。自民党の中小企業・小規模事業者政策調査会長である根本は、この決定に憤慨、「グループ補助金」を認めるよう政府に迫る。幸い、総理の菅義偉も同じ考えだったので「グループ補助金」は創設できることになったが、問題はそのための理由。官僚は制度をつくる際、他の制度に波及しないように努める。根本は、気象庁が福島県沖地震を「東日本大震災の余震」と発表したことに着目。「東日本大震災の余震であれば、今回の地震も東日本大震災と同様、グループ補助金を認めるべきだ」と国に迫り“特例的に認めさせる”ことで決着した。
通常は「全壊」だけが対象になる家屋の解体費補助についても、被災者の生活の早期再建を促進するべく環境省と交渉を重ねた結果、“特例的”に半壊までを対象とすることで決着。更に、公費補助の対象外となっていた「一部損壊」の建物にも、根本の働きかけ東日本大震災や台風19号で多くの中小・小規模事業者を支援してきた「中小企業等グループ補助金」は、「大規模な災害」、例えば「激甚災害」に指定されることが条件となっていた。「このままでは、東日本大震災に加えて台風19号、コロナ禍の三重苦ですでに疲弊し切っている福島県の事業者の再生はない」。自民党の中小企業・小規模事業者政策調査会長である根本は、この決定に憤慨、「グループ補助金」を認めるよう政府に迫る。幸い、総理の菅義偉も同じ考えだったので「グループ補助金」は創設できることになったが、問題はそのための理由。官僚は制度をつくる際、他の制度に波及しないように努める。根本は、気象庁が福島県沖地震を「東日本大震災の余震」と発表したことに着目。「東日本大震災の余震であれば、今回の地震も東日本大震災と同様、グループ補助金を認めるべきだ」と国に迫り“特例的に認めさせる”ことで決着した。
通常は「全壊」だけが対象になる家屋の解体費補助についても、被災者の生活の早期再建を促進するべく環境省と交渉を重ねた結果、“特例的”に半壊までを対象とすることで決着。更に、公費補助の対象外となっていた「一部損壊」の建物にも、根本の働きかけと福島県知事の内堀雅雄の決断により、県と市町村が連携して補助制度を設けることになり、被災者の生活再建が格段にスピードアップすることとなった。

さらに、匠が動いた!

令和4(2022)年、福島県は前年の福島県沖地震に続き再び地震に見舞われるが、またも「激甚災害」に指定されない。福島県知事の内堀だけなく、隣県宮城の知事である村井嘉浩からも久しぶりに携帯が鳴り、「根本先生にぜひお願いしたい」という。宮城も大きな被害を受けたのだ。気象庁は令和3(2021)年の福島県沖地震後、「余震とは言わない」と仄聞していた。根本は考える。
福島県は、東日本大震災、台風19号の被害、コロナによる打撃、令和3年福島県沖地震、そして令和4年福島県沖地震と4重、5重の被害を受けている。これは「この地域の特有の現象」であり、宮城県も状況は同じ。ならば、「この地域の特有の現象」に着目し「特例」として認めるべきだ。これが根本の立論である。
現場を熟知し現場主義に立って政策の合理性を追求する。根本の発想がまたも実を結び、グループ補助金が創設され、更に、民間から支払われる保険金の取り扱いも工夫した。事業者の心が折れないように、常に被災者に寄り添う。復興大臣の時から変わらない根本の姿勢だ。