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根本 匠ねもと たくみ

自民党東日本大震災復興加速化本部長
国家基本政策委員長 衆議院議員
福島県第二選挙区支部郡山市/須賀川市・鏡石町・天栄村/田村市・三春町
・小野町/石川町・玉川村・平田村・浅川町・古殿町
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福島県広域

民主党政権からの宿題
「中間貯蔵施設」の問題を解決

除染で取り除いた土壌や放射性物質に汚染された廃棄物を、最終処分するまでの間、安全かつ集中的に管理・保管するための中間貯蔵施設は、東京電力福島第一原子力発電所事故で被災した福島の復興・再生を進めていく上での大前提だ。東日本大震災の翌年、平成24(2012)年、自民党は衆議院選挙で勝利し政権に復帰。復興大臣に就任した根本匠は、民主党政権が前年に示した工程表に沿って候補地の選定作業が進んでいるかどうか、事務方に報告を求めた。が、「これです」と担当幹部が差し出した資料は、双葉郡の地図に施設の候補地の位置を示す9つの○を付けただけのポンチ絵(概略図)が1枚。施設の全体の計画もない、事実上白紙からのスタートとなることが分かり、根本は愕然とした思いの中で込み上げてくる怒りを必死で抑えた。

そのとき、匠が動いた!

中間貯蔵施設の問題は、単に処理施設を数カ所に分散配置するような感覚で進めるべきではない。全体計画を見据えた上で、候補地をゾーン、つまり面として捉えていくべきだと指示。それが平成25(2013)年1月、ここから始まった。環境大臣の石原伸晃から「環境省だけでは対応できない。復興庁も協力してほしい」と要請を受け、中間貯蔵施設の主管官庁である環境省と共同で、根本・石原両大臣をトップに、双方の事務次官や局長クラスを加えたプロジェクトチーム(PT)を設置し、作業を進めていく。9月には、根本と石原の2トップを本部長とする「中間貯蔵施設等福島現地推進本部」を設置。内閣府原子力災害現地対策本部もメンバーに加わるなど体制が更に強化され、中間貯蔵施設の検討作業が一段と加速する。候補地となっている大熊、双葉、楢葉3町のボーリング調査の結果を受けて、12月14日に中間貯蔵施設等の建設受け入れを要請。福島県や関係自治体との具体的な話し合いが開始される。
結論から言えば、根本が当初考えていたように、大熊町と双葉町にまたがるエリアを一体的なゾーンとして捉えた配置案としたが、地元との調整で最も難航したのが建設用地の取り扱い。通常の公共事業では買い取り方式が原則だが、「先祖伝来の土地を手放したくない」という地権者も多い。この問題は、地元の皆さんの協力なしでは解決できない。根本と石原は、大熊、双葉の両町長とも協議を重ね、土地の所有権を残したまま、土地を一定期間借り受ける「地上権」の設定を例外的に認めることで決着。かなり異例な措置だが、国が一歩踏み込んだ対応を示すことで中間貯蔵施設の建設は大きく前進することとなったのである。

さらに、匠が動いた!
3010億円の財政支援策

地元への財政支援も大きな課題である。生活再建・地域振興を進めていく上での財政措置については、国と福島県の間に大きな開きがあったが、根本は高いレベルで事務方が本音をぶつけ合う形で協議を重ね、復興大臣の根本が国側の責任者としてその都度報告を受けるということで進めたい、と副知事の内堀雅雄に提案。内堀もこれに同意し、協議が進展。地元のニーズが概ね見えてきたところで、根本とともに、党の東日本大震災復興加速化本部の大島理森本部長も財務省を動かし、〝満額回答〟の総額3010億円の財政支援策をまとめ上げた。知事からは、浜通りをロボットの研究開発や廃炉技術の研究等の世界最先端地域とする「福島・国際研究産業都市(イノベーション・コースト)構想」の実現を確実なものにするため、政府の「経済財政運営と改革の基本方針(骨太の方針)」に構想名を明記してほしい、との要請も受けている。経済産業副大臣の私的研究会が報告書としてまとめた「福島・国際研究産業都市(イノベーション・コースト)構想」を閣議決定する文書に明記することは、一般的にはあり得ないことだが、根本は「これは政治判断だ」と関係省庁を説き伏せ、平成26(2014)年6月に閣議決定された「骨太の方針」に盛り込むことに成功。その直後、知事から根本に弾む声で感謝の電話がかかってきた。

さらに、匠が動いた!
根本イニシアチブ

根本が復興大臣の責務として全力で取り組んできた中間貯蔵施設の問題で、最後に残された課題は、大熊、双葉両町の将来構想である。両町長から「国として町の将来構想、復興の方向性を示してほしい」と要請を受けており、根本は当時考え得る両町の長期的な復興の方向性を網羅的に盛り込んだ「大熊・双葉町復興ふるさと構想―根本イニシアチブ―」を約1カ月でとりまとめ、8月28日に郡山市内のホテルで両町長に提示。両町長から「要望したことが明記されており、評価したい」等と予想以上に高く評価され、メディアにも大きく取り上げられた。サブタイトルに根本の名前を冠したのは、他省庁から横槍が入らないようにするとともに、復興大臣を辞した後も両町の復興・再生に尽くしていきたいとの思いからである。「骨太の方針」への「福島・国際研究産業都市(イノベーション・コースト)構想」の明記、3010億円の財政支援策、そして「大熊・双葉町復興ふるさと構想―根本イニシアチブ―」という3つの大きな課題が解決されたことで、福島県と大熊町・双葉町が9月1日、中間貯蔵施設の受け入れを決断。これが復興大臣根本匠にとって、事実上最後の仕事となった。根本と石原の連携プレーと政治主導が結実したのだ。

さらに、匠が動いた!
「内堀知事」誕生秘話

中間貯蔵施設受け入れの大詰めで、根本が水面下で動いていたのが、内堀副知事の知事選への擁立。内堀擁立は、7月下旬に自民党と民主党の間で一旦合意が成立するが、8月上旬、マスコミから進退について質問を受けた佐藤知事は「不出馬」を明言しなかった。となると、内堀は副知事の立場上出馬表明はできない。しかも中間貯蔵施設の実務の責任者である。打開の糸口は見出せず、「内堀擁立」は当面フリーズ(凍結)ということになる。
知事選を巡っては、その後政治的に様々な動きがあったが、根本は中間貯蔵施設受け入れ問題の最終調整を急ぐ一方で、知事選出馬の段取についても綿密に打ち合わせ、「中間貯蔵施設の受け入れが決まったら、双葉郡の町村長が内堀に出馬要請、それを受けて出馬宣言をする」等々、出馬に向けてのシナリオを内堀と2人で練り上げた。根本は当時、自民党福島県連の会長ではなかったが、〝福島を復興したい〟という二人の思いは同じ。信頼と共感で結ばれていたのだ。
9月1日に佐藤知事が中間貯蔵施設の受け入れを表明し、9月11日に内堀が知事選への出馬を宣言。10月の知事選まであとひと月というギリギリのタイミングとなったが、内堀は圧勝した。