阿武隈川
「平成の大改修」
台風から変化した温帯低気圧により阿武隈川とその支流が氾濫し死者4名を出す大水害となった昭和61年の「8.5水害」から12年後の平成10年、再び阿武隈川流域に甚大な洪水被害が発生する。記録的な豪雨が断続的に続いたことで阿武隈川が氾濫。被害は中通り全域に広がり、白河の社会福祉施設で5名の死者が出るなど19の市町村で約1万1,300世帯に避難勧告が出される深刻な事態となる。道路や鉄道が寸断されライフラインもストップ。土砂崩れや浸水・冠水、交通網の寸断など直接的な被害に加え、物流の混乱による物価高騰、交通渋滞など二次的損害も膨大なものとなった。
死者まで出した地元の大水害に、厚生政務次官の根本匠は直ちに動く。早速、被災地の現場に向かおうとするが、厚生省によれば災害発生で大臣、政務次官が入った前例はないという。ならば、地元の衆議院議員として行くことを決断。建設大臣の乗るヘリコプターに同乗し、空からも地元の惨状を目の当たりにする。一刻の猶予もない。根本はその場で建設省と厚生省が協力し全国の福祉施設の安全点検を行うことを提案、直ちに実行に移された。さらに、阿武隈川など関連河川の改修も急ぐ必要があると判断。「抜本的な治水対策」「集中的な投資」「ハード・ソフトの連携」を3原則に、沿川住民との意見交換を重ねながら計画を策定。原形復旧にとどまらない改良型災害復旧事業とし、従来なら20年はかかる事業を事業費800億円をかけ、わずか2年で行う全国初のモデル的大事業「平成の大改修」を実現する。
「洪水被害は60年に一度の確率の想定で治水対策を進めるが、この地域は昭和61年の『8.5水害』から12年しか経っていない、一気にやるべきだ」 根本は、こう力説し建設省を動かした。この時の経験が、後に復興大臣に就任した際に大きく生かされることになる。