美術館通り
昭和62(1987)年から分譲を開始した郡山東部ニュータウン。平成4(1992)年には郡山市立美術館が開館、郡山市東部エリアの開発が進む一方、 そこまでのアクセスは相変わらず不便なままだった。そこで、これらのアクセス改善のため「美術館通り」が計画され、平成8年には東部幹線から東部ニュータウンまでが開通。 並行して、最大の障壁である郡山駅西口へとつながるJR線路下のトンネル工事も計画されたが、トンネル工事には総額20億円くらい必要であるにもかかわらず、毎年の予算が5億円にとどまり工事が行き詰まる。
そのとき、匠が動いた!
平成5年に衆議院議員に立候補し初当選した根本匠の選挙公約の一つであった「郡山駅西口再開発の推進」。その最終課題がこの「東口への横断トンネル」で、根本匠は2つの財源に着目する。一つは、毎年5億円が事業計上されていた当初予算だけでなく、補正予算でも予算をつけるということ。もう一つは、このトンネルが東部幹線から郡山東部ニュータウンまでの「美術館通り」に接続するところから、ニュータウンに必要となる道路や公園などの整備を目的とした「ニュータウン関連公共施設整備予算」を活用するということ。根本は建設省と協議し、これらを事業費にすべて充当することで単年度で41億円を確保。この事業費をフル活用することでJR線路下のトンネルを一気に開通させることができた上に、美術館通りにふさわしい明るい照明と壁面デザインを施すこともできたのだ。