新しい政策課題と政治家の役割 - 2
金融危機で功を奏した「政治主導」の政策形成
2.「官僚主導」から「政治主導」へ
1993年7月。総選挙で敗北を喫した自民党は、「反自民」を旗印に結集した野党8会派に政権を明け渡して下野、38年間に及んだ「55年体制」に終止符を打った。
「55年体制」のもとで一貫して政権を担ってきた自民党は、官僚機構をシンクタンクとして活用、連携を深めることで政策の企画・立案、遂行機能の強化を図り、日本を世界第2位の経済大国へと押し上げてきた。
この政官の連携は、「政」が政策の実施主体としての自覚を持ち、それを輔佐する「官」との間に一定の秩序と緊張感があった時期は円滑に機能した。
しかし、「政」の「官」へのチェックが次第に甘くなるにつれて、金融などの分野で政策を「官」に全面的に依存する傾向が強まっていく。そして、「官僚主導」の横行を許すこととなる。
政策には規律と責任が伴わなければならない。「官僚主導」を看過したのは、「政」の怠慢が原因であり、「55年体制」の崩壊は、こうした旧弊を改める好機だった。
しかし、日本新党の細川護熙代表を首相に立てた細川連立政権は、「脱官僚主導」をスローガンに掲げたにもかかわらず、8会派の寄り合い所帯だったため自民党時代以上に「官」に依存。大蔵官僚に企画・立案させた新税(「国民福祉税」)構想を、「政」の立場から何ら検討を加えることなく、そのままそっくり政府の方針として採用しようとするなど、建て前とは裏腹に官僚機構との結び付きを深めていった。
続く羽田連立政権もまた、不安定な政権運営を強いられ、「政治主導」への回帰を果たせぬまま退陣、政権の座を再び自民党(自社連立政権)に明け渡すことになった。
官僚機構の強さは、官僚たちが政策の企画・立案に長けていることと、必要な情報を事実上独占していることにある。「政」が政策の主導権を「官」から取り戻すには、「論理」「知恵」「バランス感覚」「構想力」「説得力」を備えていなければならない。
野党時代の経験でそう痛感した私は、自分に欠けていると思われるものを独力で補強するとともに、当選1〜2回クラスの若手議員たちと政策の提言活動に取り組み、幾つかの政策を実現までこぎ着けた。
こうした活動が功を奏し、私たちのグループに対し「政策請負人」としての自民党内の評価が定着した頃、日本経済を激震が襲った。1997年11月の“金融恐慌”である。
三洋証券、北海道拓殖銀行、山一証券、徳陽シティ銀行の連続破綻を招いた直接の原因は、三洋証券の破綻直後にコール市場で発生したデフォルト(債務不履行)にあった。
仮に金融当局(大蔵省銀行局)が、このデフォルトを重大視し、再発防止の措置を講じていたら、金融機関の破綻が一時期にこれほど集中することもなかったし、一部の銀行で取り付け騒ぎが起きるような事態も回避できたかもしれない。
しかし、当時の金融当局は、個々のケースについて破綻処理を進めていくのが精一杯の状況。「官僚主導」の限界を露呈しており、直後に持ち上がった金融機関への公的資金の投入問題などでは機能不全状態に陥っていた。
金融機能をここまで低下させた原因は、不良債権の処理を先送りしてきたことにある。
その直後に、「政治主導」で大手銀行に対する公的資金投入(資本注入)の方針が打ち出されたが、問題の根本的な解決にはつながらない。金融機関の不良債権を実質的に処理するためには、金融機関と借り手の債権・債務関係を整理し、不良債権を金融機関のバランスシートから切り離す以外に手立てはない。
「不良債権化した担保不動産を流動化させれば、金融機関のバランスシートから実質的に切り離すことが可能となり、金融システムも回復する」
機能不全に陥っていた金融当局に代わって政策の主導権を握った自民党は、こうした問題意識に基づき98年2月から、土地と債権の流動化を促す仕組みづくりに着手。この作業に当たったのが「金融再生トータルプラン推進特別調査会」で、保岡興治会長の下、私や石原伸晃氏、塩崎恭久氏を中心に渡辺喜美氏ら中堅・若手議員10数人が参画した。
私たち若手議員にこのような大役が回ってきたのは、党の政策形成に関わるポストに登用されていたからで、個々人がかなりの能力を有していたとしても、政策づくりに携われるポストに配置されないと、力を発揮できない。一貫して世代交代を訴え続けてきた加紘一幹事長(当時)と山崎拓政調会長の理解も大きい。
ともあれ、私たち政治家が政策を企画・立案し、関係省庁の担当者と議論を重ねながら2カ月という短期間で練り上げたのが、政府・自民党が4月下旬に打ち出した総合経済対策に盛り込まれた「土地・債権流動化トータルプラン」である。
我が国では、1つの土地に多数の金融機関やほかの債権者の根抵当、抵当などの権利が錯綜・重複しているため、こうした土地を不良債権として処分する場合、まず権利関係の調整を進めていかなければならない。
この「土地・債権流動化トータルプラン」で、複雑な権利関係などのために塩漬けになっていた土地を動かす仕組みを作り上げた私たちは、次のステップ、つまり、不良債権の実質的な処理に向けて金融機関の背中を押し、金融システムの再生と構造改革を進めていくためのスキームづくりに取りかかった。
その間、日本長期信用銀行の経営危機が表面化、「政治主導」での検討作業は難航に難航を重ねたが、「時間との戦い」となったことがかえって作業を加速、7月2日に「金融再生トータルプラン」の決定へとこぎつけた。
これらの作業は、まず私たちが政策体系を示し、次に官僚たちと徹底的に議論を重ね、フィードバックされたものを私たちがまとめ上げるという手順で進められた。本来の姿である「政治主導」を実践し得たと自負している。
官僚はたしかに有能だが、彼らの守備範囲は限られている。政治決断ができるはずもないので、省庁横断的な政策テーマや国家戦略にかかわる重要政策についてはどうしても足並みが乱れる。
政策の調整機能を担う組織(内政審議室)もあるにはあるが、各省庁が個別に立案した政策をかき集め、それを総合政策らしく仕立て上げることくらいしかできない。「官」が「官」の政策を束ね、総合的な調整を行うことにはどうしても限界があるのである。
複数の省庁に跨る政策テーマや国家戦略にかかわる重要政策は、やはり政治家でなければ対応できない。一連の政策の立案に深く関わった私は、政治家が政策づくりのリーダーシップを執ることの重要性を改めて感じた。
そのためには、当然のことながら政治家が当該政策の企画・立案に必要な知識を備えていなければならない。若手の中心メンバー3人について言えば、石原氏は初当選以来、一貫して財政・金融政策を担当してきたし、日銀出身の塩崎氏はそもそも金融の専門家である。官僚出身の私は、政策づくりのノウハウを持っている。金融については門外漢だったが、そのハンディを克服すべくひたすら学んだ。
そして、この3人を中心に同世代の意欲ある議員たちが、ブレーンストーミングで徹底的に議論し政策を磨き上げていったわけである。
ともあれ、「若手」と呼ばれる当選回数の少ない国会議員が、極めて重要な政策の立案に中心的な役目を担うことはかつてなかったことである。それを可能にしたのは、政策を主導してきた「官」のパワーが衰えてきたこともあるが、「55年体制」の崩壊で長老支配の構図が崩れて政治が動乱期に入り、「政策本位の政治」を志向する若手議員たちに出番が回ってきたことが最大の要因である。
そして、私たちが策定した2つのトータルプランは、政治家にも重要な政策の立案が可能であることを証明する結果となった。
また、2つのトータルプランは、内閣と与党が極めて上手く連携できたという点で「政治主導の政策形成」のモデルケースともなった。これは、金融ビッグバンを提唱し、政策通で知られた橋本龍太郎首相と、与党の政策通である加藤幹事長との連携と調整がスムーズにいったためだ。
ところで、私たちは当時、7月12日の参院選で勝利した後、同月下旬にも召集される臨時国会に金融再生6法案を提出し、遅くとも8月半ばまでに法律を成立させる考えでいた。金融危機を封じ込めるには迅速に対応することが何よりも重要と考えていたからだ。
しかし、自民党が参院選で予想外の大敗を喫したため、この見通しは大幅に狂い、「金融国会」と称された臨時国会では与党の法案と野党側が共同で提出した法案を巡って審議が難航。審議の遅れが長銀の株価の下落を誘い、金融不安を増幅する悪循環に陥った。
このため、自民党の若手議員グループに民主党の若手議員たちが呼応する形で与野党の妥協が図られ、法案の修正協議を経て、金融機関の破綻処理手続きを定めた金融再生法と、公的資金60兆円枠を使った銀行の資本注入を認めた金融機能早期健全化法が10月に成立した。
また、「現行法の枠組み」の中で検討が進められていた長銀危機への対応についても、政治主導で金融再生法に基づいて処理することとなり、同法の施行を待って直ちに破綻処理(一時国有化)が行われた。
この「金融国会」の直前の内閣改造で、私は、厚生政務次官に就任したため、「金融国会」での法案審議には参画していない。ブリッジバンク構想を中心とする「金融再生トータルプラン」関連法案の仕上げの作業に加われなかったことは、この問題に深く関わってきた政治家として誠に残念なことであった。
以上、金融危機が再燃した97年11月から「金融国会」までの流れを駆け足で辿ってみた。
繰り返すが、金融を事実上統治してきた官僚のパワーが急速に衰えていく中、政策の主導権が否応なしに「官」から「政」に移り、政権与党の「政策新人類」と呼ばれた若手議員らをはじめとする「政治主導」の取り組みによって金融危機が回避された。
私たちは、限られた時間内に最善の政策を仕上げるために、法制局との法案を巡る折衝や、専門的な知識と法案づくりの技術を要する部分では、ためらうことなく、しかもフルに官僚を活用した。
こうした手法を、またぞろ「官僚主導」を許すことになりかねないと批判する向きもあるが、冒頭でも述べたように、「政」が政策の実施主体としての自覚を持ち、それを輔佐する「官」との間に一定の秩序と緊張感があれば「官僚主導」に逆戻りすることはあり得ない。
「政治主導」は、政治家が自分の頭で考える力を持ち、そのリーダーシップの下で官僚機構を自在に活用してこそ、有効に機能するのである。
新しい政策課題と政治家の役割 - 2