新しい政策課題と政治家の役割 - 1
金融危機で功を奏した「政治主導」の政策形成
1.はじめに
政策の実施主体として政治家が政策を主導する「政治主導」が叫ばれて久しい。多くの分野で「政治主導」による政策の企画・立案・執行体制が確立されつつあるが、「政治主導」が定着したとは言い難い。2001年1月の中央省庁再編と同時に発足した「副大臣」と「政務官」制度も、未だ試行錯誤の段階にとどまっている。
私が、政治家に身を投じたのは1993年。自民党の公認を得て、その年の7月の総選挙で初当選を果たしたが、自民党が直ぐに野党に転じたため、野党議員としてスタートを切ることになった。
後述するが、「55年体制※」の下での政策は、官僚が政策を企画・立案し、それを自民党の政策担当セクション(政務調査会=政調=)に持ち込み、自民党の政治力を使って実現を図ってきた。
しかし、「政」と「官」のこうした関係が成り立つのは、「政」が政権与党にいる間に限られる。
与党のみを「味方」と識別する性向が強い官僚機構は、自民党が野党に転じると、途端に距離を置き始める。それまで官僚をシンクタンクのように使い、政策を全面的に依存してきた「55年体制」時代の自民党の政治家たちは、機能不全に陥ったのである。
が、野党議員としてのスタートとなった私は、こうした落差を経験していない。政治家の使命は有権者の声を吸い上げ政策として具体化していくことにある、と考えていたので、野党のハンディをどのように克服するか、つまり「野党議員にも政策を立案し、実現できるか」という課題に躊躇なく取り組んだ。
その後、自民党が再び政権与党に復帰したため、野党議員の経験も1年に満たなかったが、「官僚主導」の政策の限界も知ることができ、貴重な経験をしたと思っている。
その経験が生かされ、極めて重要な政策テーマについて「政治主導」による企画・立案のチャンスが巡ってきたのは、それから2年後。金融恐慌という大きなうねりの中で「官僚主導」が機能不全に陥り、私たち若手議員たちに出番が回ってきたのである。
その後の「金融国会」で、政策の立案能力を有し、権力に臆せず行動する若手議員たちのことを「政策新人類」と呼び、その活躍が話題を呼んだが、「政策新人類」は突然変異のように表舞台に姿を現したわけではない。
(※) | 自民党と社会党の2大政党により運営された政党政治のシステム。両党が1955年に発足したことから「55年体制」と呼ばれた。この枠組みの中で、議会の圧倒的多数を占める自民党は、長期安定的に政権を維持、野党になることは全く想定していなかった。一方、最大野党の社会党は政権奪取の意欲が全くなく、“万年野党”の座に甘んじていた。しかし、38年に及んだこの政治の枠組みも、1993年の自民党分裂で崩壊、自民党による「一党支配」の時代に終止符を打った。 |
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