復旧から復興、新たな創造へ
復旧から復興、新たな創造へ
この度の東日本大震災で被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。
郡山市は、震災後直ちに対策本部を立ち上げ、ライフライン復旧に精力的に取り組んでおり、震災対応は災害復旧から復興へと次の段階に移りつつあります。
私は、震災直後に郡山市の防災対策アドバイザーを拝命しました。市の抱える緊急課題について国や県との調整にあたり、迅速に意思決定できるよう協力しています。農業者の皆さんや地元の企業経営者の皆さん、被災された皆さんたちと日々お話し、現場の声を反映させた政策を立案、政府に提起することにも取り組んでおります。
東日本大震災は東日本の全域に及び、大地震、大津波に加え原発事故、原発事故による風評被害と過去に例をみない大災害となりました。国家の危機といっても過言ではありません。 非常時には国の危機管理能力、統治能力が問われます。原発事故対応をどう見るか。危機管理の要諦は最悪の事態を想定して対処すること。残念ながら国の緊急事態宣言やその後の対応は遅れ、初期の段階でアメリカの支援を断る等、対応は後手、後手に回り、危機を管理ではなく、増幅させてしまいました。政治主導、官邸主導が機能していないのです。官邸に対策本部が20も乱立し、船頭多くして船山に登る。意思決定も遅れ、無責任体制になっています。今求められるのは、司令塔機能、指揮命令系統を一元化し、政治家が官僚と緊密に連携し、最終責任は政治家がとるという統治システム創り上げること。簡素でスピーディー、強力な統治が必要です。
経済県都郡山は、地震による被害に加え、原発事故に起因する風評被害により農業はもとより、加工食品、観光等、業種を問わず幅広い分野で企業活動が大きな打撃を受けています。ここから立ち直るべく、返済猶予等民間金融機関の努力や政府系金融機関の低利融資など、資金面のバックアップ体制が強化されていますが、これまでの融資制度だけでは限界があります。この限界を超えて地元企業を立て直すには、「地域活性化ファンド」を創設し、被災企業への出資、資本注入を行い、低利または無利子の資金や資本を確保する必要があります。また、街の再生には同様の「街づくり再生ファンド」を創設する必要があります。同時に、官民挙げて総力をつくした風評被害対策を講じなければなりません。
郡山は水と緑に恵まれた農業都市。規制値を超えていない地元の安全・安心なおいしい農産物までが一律に出荷制限・摂取制限をかけられ、しかも十分な事実確認をしないまま福島県全域が規制されました。現在は、規制単位も市町村へと変更されましたが、この対応をなぜ最初のタイミングで出来なかったのか。科学的根拠や合理性が乏しい一律的・硬直的な規制、点ではなく面での規制は産地をつぶすことになります。福島県全体が汚染されたと誤解されています。米・野菜等の農産物を作ることは、生産者が希望を持って生きること、人の命を守ることを意味するのです。場当たりの政府の政治主導が風評被害を助長しました。政府の政策は、消費の安全・安心を第一に考えつつ、規制するエリアを決め、そこに生活し仕事をして生きている人々にも最大限の配慮が必要です。「総理指示」とはいえ、福島県全体を対象とする規制は、法律が予定する「必要な限度」を超える運用でした。「総理指示」による出荷制限、これに基づく直接被害、風評被害は、一義的には東電、最終的には国が責任も持って、その損害に対して万全な補償をすべきです。なぜなら、十分な事実確認をせずに規制を行ったのは今の政府であり、その規制によって生じた損害に対する賠償補償は、規制と一体だからです。
それに加え、自治体への事前連絡無しに行われた「避難区域の拡大」、一ケ月が経過してからの事故評価の「レベル7」への引き上げは、現場に更なる混乱を招くとともに、風評被害を拡大させました。風評被害は、農産物、加工食品から観光、飲食業、工業製品や建築資材、運送等と幅広い分野に及んでいます。風評被害は、特定される「被害」から不可避的な災い、すなわち「災害」に質的に変化したのです。
地震、津波からの復旧、復興は目にみえた形で進みますが、「風評災害」は目に見えず、どこまで広がるか、いつ収束するか予測できません。
鎮静化を待つという受け身の姿勢ではこの難局は乗り越えられません。特に、この問題は福島県特有のもので、これをどう解決するのか。地元から声を上げる、地元からアピールすることが鍵を握ります。豊かな食の大地を再生するためには、@科学的、専門的な検査システムを確立する。Aそこから得られる科学的な根拠に基づく安全宣言を出す。B検査システムに裏打ちされ、安全・安心で高品質な農産物、加工食品を、自信を持ってつくる。C首都圏、近畿圏はじめ日本全国へ「トモダチ作戦(アメリカの日本支援)」日本版とも言える「日本の絆(きずな)キャンペーン」を展開し、産品をアピールする【安全の確認⇒安全の宣言⇒自信を持った生産⇒大々的な産品のアピール】。これが農の復興へのシナリオとなり、郡山発の命を繋ぐ食の復興は、全体の復興の牽引者となりモデルとなっていくことでしょう。 スローフード運動の先駆け郡山農学校は、「アグリルネッサンス」と題し、「地産地食(地の産物を地の人が食べる)」として地元から動きだしています。
もちろん、その大前提として、原発の廃炉、原発の収束への工程表の前倒し、終息をさらに急ぐことは言うまでもありません。
歴史に刻まれるこの大災害を、どう乗り越え復興に繋げていくか、大局観を持った視点が今必要とされています。たとえ将来への不安や明日への希望を失いそうになる状況であっても、時代は自分たちで動かせるし、力を合わせてつくることが出来ます。郡山には様々な可能性があります。豊かな農産物を育む命の大地、さまざまな産業集積の拠点であり、磐梯熱海温泉等の観光資源も災害への強さを発揮しています。自然環境にも恵まれ、風力発電等の新エネルギーの拠点にもなるし、自然と都市が共生する田園都市構想には最適な地です。空港、高速道路、新幹線の高速交通ネットワークを、安全のための代替設備の確保という考え方で更に強化して、「復旧から復興、新たな創造へ。」つなげていくことが必要です。
時代は動かせる。明治維新、戦後の驚異的復興、日本人は幾度も苦難を乗り越えてきました。日本人の志、お互いの助け合い、地域の底力、可能性を信じて、英知を結集して、郡山の未来をつくっていきましょう。私たち一人一人が今出来ることからはじめましょう。